収束するが終息しない新型コロナウイルス!気になる日本語!

ことば

新型コロナウイルスの影響でこれまでの生活は一変しましたね。

新型コロナウイルスの緊急事態宣言が一旦解除されて「事態は収束」しましたが

新型コロナウイルスを撲滅できていないので「事態は終息」したとはいえません。

収束と終息では全然意味が違ってきます。

日本語の難しいところですね。

そこで気になる日本語や言葉について書いてみました。

ら抜き言葉のいいところ

「可能」を表現するのに使われる「ら抜き言葉」。

今では、ら抜き言葉を耳にしてもまったく違和感がないほど使われています。

例えば「食べる」の可能形は食べれるではなく「食べられる」が正しく「見る」の可能形は見れるではなく「見られる」が正しいのですが、ここで反論があります。

「食べられる」や「見られる」は、可能のほかに受身や尊敬の使い方でも同じ言い方なのでまぎらわしいからです。

例えば、「納豆を食べられました」という文の意味を考えると3通りあります。

◎大嫌いだった納豆が食べることができたという意味(可能)

◎大好きな納豆を誰かに食べられたという意味(受け身)

◎最後に、目上の人が召し上がった時に使う食べられたという意味(尊敬)

可能形で使っている「ら」を抜いて「納豆を食べれました」と言えば、食べることができたという1通りの意味だけなのでまぎらわしくなくていいんじゃないかと思うのです。

受身の表現と区別するのにはとても便利ですよね。

ところがテレビのインタビューなどの字幕では、ら抜き言葉が使われるとわざわざ「ら」を追加して修正されています。

これだけ耳にすることが多くなった昨今、日本語が変化しているので、ら抜き言葉もありではないですか!

ら抜き言葉は「ことばの乱れ」というよりは「ことばの変化」ではないでしょうか?

そう遠くない将来、「今日はなかなか寝れないので明日は早く起きれないかもしれないな。朝礼に出れるかな?」という言い方が標準になるかもしれませんね。(違和感なしです)

ちなみに、ら抜き言葉になりがちな動詞の見分け方を紹介します。

例えば、寝る、起きる、出るをいう動詞を否定形にしてみます。

寝る→寝ない

起きる→起きない

出る→出ない

というふうに、ないをつけた時に「」→「ない」となる動詞が、ら抜き言葉になりやすい動詞です。

したがって、「今日はなかなか寝られないので明日は早く起きられないかもしれないな。朝礼に出られるかな?」という言い方が現在のところでは正しい言い方とされます。

可能形のら抜き言葉になりにくい動詞は「」→「らない」と変化する動詞です。

例えば、走る、眠る、割るという動詞を否定形にしてみます。

走る→走らない

眠る→眠らない

割る→割らない

否定形にしたときに、「らない」がつく動詞は、走れない、眠れない、割れないのように自然と「れない」がつきます。

これらは、ら抜き言葉ではありません。

否定形にしてみて、「ない」がつくか「らない」がつくかで見分けられますよ。

形になりますって何の形?

先日、予約していた店に早めに入ったところ、「10分ほど、お待ちいただく形になりますがよろしいですか?」と言われました。

10分ほど、お待ちいただきますがよろしいですか?という意味ですよね。

この場合の「~という形になります」は間違った使い方です。

店員がお客に対して丁寧に言ってるつもりの言い方ですね。

「形」は形状を表す言葉です。形のないものに「◯◯の形」を使うのは変な言い方ですね。

ちなみに、ファミリーレストランやコンビニの店員がよく使っている間違った丁寧語はファミコン敬語とよばれています。

~づらい?~にくい?

最近よく耳にすることばで「○○○○づらい」の使い方ですが、

実は微妙なニュアンスの違いがあることに気づきます。

「~するのは心理的につらい」という意味と「~するのは物理的につらい」という意味があります。

話しづらいというと、相手に気を遣ってるから話しづらいのか、口の中をケガしてるので話しにくいのか、どちらでも話しづらいと言えますよね。

微妙な違いは心理的な抵抗感があるかないかです。

心理的な抵抗感があるときは「○○○○づらい」となり、

物理的に困難さを表すときは「○○○○にくい」というのが的確な使い方です。

したがって、相手が落ち込んでいるときは、話しづらいの方が的確です。

また、口をケガして物理的に困難なときは、話しにくいの方が的確です。

個人的に気になる日本語のひとつです。

十分と充分の違いと使い分け

桜の開花状況に使われる八分咲きのように十分の十は、割合を表しています。

数値化できて満足する場合、十分をつかいます。

例文として、毎月の給料は十分もらっているのでますますがんばろう。

十分に対して充分の充は、心理的に満足できる場合、充分をつかいます。

例文として、給料はいくらでもかまわないので雇ってもらえれば充分です。

というように気持ちが満足している場合に充分をつかいます。

食事会の場面で、じゅうぶんという使い方の例を挙げると、

人数分料理がそろっている場合は「十分足りています」となり、お腹が満腹になった場合は「充分足りています」となります。

ただし、公文書ではすべて十分という字に統一されているそうです。

まとめ

収束するが終息しない新型コロナウイルスに使われている収束と終息にみられるように、同音異義語の使い分けが難しいですね。

また心理的や物理的で変わる日本語の微妙な言い回しに改めて日本語の奥深さを感じます。

長年の間に少しずつ変化してきた日本語を守りつつ新しい時代のことばにも耳をかたむけたいですね。

ら抜き言葉が標準化される日が早く来るのを願っています。

 

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